象徴天皇制を問う

政治

朝日新聞の朝刊をめくっていくと、中ほどに「オピニオン&フォーラム」という見開きのページがあります。社説や読者の「声」、記者のコラムなどを掲載する欄で、中でも識者の大型インタビューが売り物です。テーマの設定といい人選といい「そうきたか!」と思わせるものが多く、私は長年愛読しています。

3月13日付のこの蘭で、政治学者の原武史さんが象徴天皇制について語っています。存廃論にまで踏み込んだ、実に刺激的な内容です。天皇制のあり方を考えることは、この国のかたちを探ることにほかなりません。国民的な論議が深まることを念じつつ、一部をご紹介します。

多様化と矛盾「血の純粋性」

「側室制度がなくなった現在、男系で皇位をつなぐことは極めて困難です」「仮に女性、女系(天皇)を認めても、血統による世襲である以上、女性天皇や女性皇族は必ず誰かと結婚し子を産むことを求められる。つまり、未婚を貫くことも、もっと言えばLGBTQであることも否定される。多様性を肯定する世界の流れに明らかに反しています」

「どう存続させるか、ではなく、そこまでして象徴天皇制を維持する必要性があるのか議論すべき段階です。血の純粋性をよりどころにした制度は、多様化する社会の統合や包摂を担うメカニズムにはなり得ず、逆に排除の論理になりかねません」

存続が前提の左派リベラル

「むしろ右派が逆説的に存廃の話をしているのに、左派リベラルは存続が前提の議論ばかりしています。平成流を過度に理想化し、上皇を戦後民主主義の擁護者かのように仰いでいるのも主に左派です。改憲派に対する防波堤的機能を期待する声すらあります。しかし、その時々の政治の否定勢力が天皇とつながろうとするのは、2・26事件を起こした青年将校が抱いた理想に近い。筋違いも甚だしい」

「天皇の地位は主権者である国民の総意に基づく、と憲法に明記されているとおり、そのあり方は私たちが論じて決めていくものです。にもかかわらず、メディアはそのための自由な言論の場になっていない。(中略)上皇退位につながった『おことば』も、第2の人間宣言のように称賛されましたが、国政に権能を有しない天皇が政府や国会を通さず11分間も国民に直接語りかけ、政治が動き立法がなされるというのは、権威どころか、権力の発露です。しかし、それを問う声は主要メディアにはほとんど登場しない」

冷静な議論、メディアは責任を

「メディアが肯定的にしか報じなかった平成時代の『慰霊の旅』も、2人が訪れたのは、沖縄や硫黄島、サイパンなど、戦争末期に日本軍が敗退した激戦地ばかりです。盧溝橋や南京、真珠湾、コタバルなど、日本が軍事行動を起こした地、つまり『加害』を印象づける場所には赴いていません。私は、日本の戦争の全体像が隠されているとすら思っています」

「新聞もテレビも、皇位継承や政教分離の問題を扱うことはあっても、根源的な問題には踏み込まない。これでは天皇のあり方を決めるべき国民の中に冷静な議論は育たず、タブーはいつまでも残ったままです。ジャーナリズムは本来の責任を果たすべきです」

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いかがでしょう。この時代にあってなお勇気ある発言であり、頭の下がる思いです。もっとも、他メディアを含め反響はほとんどなかったようです。ひと昔前だったら、朝日新聞の本社に右翼の街宣車が押し寄せて大変な騒ぎだったでしょう。こんなところにも時代の変化を感じます。

興味のある方はぜひ記事をご一読ください。

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