AI時代の記者たちへ

メディア

もう40年近く前のこと。政治部の先輩がタイプライターのような機材を抱えて職場にやってきました。左右の人差し指でキーボードを打つと10センチ×2センチほどの横長の画面に短文が表示され、その場で印刷できたのに驚いた記憶があります。

「ワープロと言うんだ」。普及し始めたばかりの高価な製品を、先輩はボーナスをはたいて買ったといいます。「君たちもすぐにこれで原稿を書くようにようになるぞ」

スマホもパソコンもなかった

しかし、まだオモチャのような代物です。「21世紀にはそうなるかな」と、別世界のことのように聞いていました。

ほどなく、より進化したワープロが記者に配られ、10年ほどするとパソコンに代わりました。初任地の支局で初めて持たされたポケベルは、中堅になるとガラケー携帯になり、さらにスマホへと姿を変えます。それに伴い、記者の仕事のスタイルもずいぶん変化しました。

先日、新聞社の後輩が「AIボイスレコーダー」なるものを見せてくれました。クレジットカードほどの大きさで、録音⇒文字おこし⇒要約まで自動でやってくれます。57カ国語に対応できる機種もあるそうです。

試しにその場のやり取りを文字おこししてみると、若干の誤字はありましたが自然な文章になっていました。要約が項目分けされているのにも驚きました。後輩は「会社は導入には慎重です」と言いますが、遠からず必須アイテムになるでしょう。手書き派はますます少数派になりそうです。

メモ魔の大記者たち

ふと、「メモ魔」と呼ばれた先輩たちのことを思い浮かべました。

Hさんは田中角栄も一目置いた大記者です。会社が支給する小さなメモ帳を愛用していましたが、なぜか片面だけ使い、裏面は白紙のままでした。聞けば、一冊使い切るとメモ帳をバラバラにし、内容ごとに整理してスクラップブックに張るのだとか。新人の頃からの習慣で、自宅の一室は数十年分のスクラップブックで埋まっていると笑っていました。それに助けられたことがあります。

2007年、「昭和の参謀」と呼ばれた瀬島龍三さんが95歳で亡くなった時、評伝を掲載することになりました。ところが表舞台を退いて久しい瀬島さんに詳しい現役記者がいません。そこでHさんに電話すると「何年か前に話を聞いた。メモがあるよ」。ほどなく、光と闇が交錯する見事な評伝が届きました。

ワシントン駐在が長かったMさんは、いつもポケットに白紙のカードを何枚も忍ばせ、ちびた鉛筆で所構わずメモしていました。それを後で分類し、コラムなどを書く時の材料とするのです。

そのスタイルは、アメリカの一流記者たちから学んだそうです。ベトナム戦争報道で世界的に知られたニューヨーク・タイムズのハルバースタムと食事をした時のこと。Mさんの話を聞きながら、ピューリツァー賞記者が新人記者のように必死にメモを取る姿に感銘を受けたそうです。「向こうの大記者はみんなそう。すぐにふんぞり返る日本の記者とは大違いだ」とよく話していました。

Mさんはテープレコーダーを使わない主義でした。Hさんもほとんど使っていなかったと思います。ナイフとフォークとペンをごちゃ混ぜにして、なりふり構わずメモを取る。AI時代になっても、そんな記者は生き残ってほしいものです。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました